微かに、男の声が口ずさむ歌が、夜空の下響く。

 

ひらけゴマってあるだろう

家のドアは内が鍵だろう

そういう類いの呪いだよ

 

人知れず、旋律は溶け行く。

 


 

その日、みちのえきに隣接して建つアキラの家は日頃の商品のための仕込みとは違う理由で普段より慌ただしかった。

「アキラさん、どこかへ行くんですか?」

そう尋ねると、肯定が返ってくる。

「ああ、俺の友人二人がどうもパンドラに捕まったようでな……ティルニアとアヴァン、知ってるか?」

「アヴァンさんという方は知りませんが、ティルニアさんは知ってます、クレイグさんとお付き合いなさってる方ですよね……って、ティルニアさん、捕まってるんですか?!  あのティルニアさんが?!」

「シーグ、少しは落ち着け。言ってなかったか……数日前に拐われたらしいとは聞いてたんだ。で、さっきどこにいるか見当がついたって報せが来てな。今日はクオン達に店任せて、俺はあいつらを助けに行くことにした。……ティルニア知ってるなら、シーグ、お前も来るか?」

思わず食って掛かるようにアキラに詰め寄ったのを、やんわりといなされる。しかし、投げられた問いに答えるには、僅かな躊躇いが生まれる。躊躇いは、そのまま言葉になった。

「……ノエリアさんは、どうするんです?」

そう問えば、返って来たのは思いがけず苦笑。

「あいつはついて来るって聞かないからさっきどうにか説き伏せた所だ、来ねえよ」

「風邪を引いているのに……って、そうじゃなくて!ノエリアさんの看病は誰がするんです?」

「大丈夫だ、それもクオン達に頼んである。だから問題はお前が来たいかどうかだよ、シーグ」

結局自分が考える程度の事は、──少なくともことノエリアに関しては──お見通しらしい。

ならば、ここは彼の弟子達を信じよう。

「……行きます。少し待っていて下さい、支度してきますから」


 

たどり着いた建物の前で、目に映ったのは、ここ数ヶ月でやたらと見慣れた人影だった。

「……ココアさん?」

「やっほー、二人とも!」

「……ココアさん、何やってるんですか?」

そう彼女に問う声が怪訝になったのが自分でも分かる。なにせ、彼女は自分より年若いとはいえ、自分より卓越した魔法の使い手で、自分の師でさえあり、そうそう洗脳などされるような軟な精神の持ち主だとも思わない。その彼女が、一体なぜ僕の前に立ち塞がっているのか。訳がわからない。

「ココアか……今お前に構っている余裕はないんだが」

横に立つアキラも、心なしか呆れたような声だ。しかし二人の様子にも構わず、ココアはこんな事を言う。

「さあ、デセオorルチエリアのみんな!ココアが相手だよ!」

「……」

面食らっている自分を他所に、アキラはさらりと返す。

「って事は、そのどっちでも無い俺たちはスルーでいいな、行くぞ、シーグ」

正直、その発想は無かった。ココアが前に立ち塞がった時点で、どうあれ戦って倒さなくはならないのだろうと思い込んでいた。しかも、そのココアも、

「そっかー、じゃあここは任せて先に行っていいよ!」

などと言うものだから、尚更拍子抜けである。

「ええと……ココアさん、パンドラに協力してる訳じゃないんです?」

「結果的に協力している体裁は取ってるかな? ……なんということでしょう! ココアは悪いテロリストに洗脳され、悪の魔砲少女イーヴル☆ココアになってしまったのです。という筋書きかな?」

大仰に肩を竦め、芝居がかった様子でそんな事を言うココアに、安心する。自分で洗脳されているなどと言う洗脳被害者はいない。

「シーグ、アレの相手は他の奴らに任せよう。気が済めばひょっこり味方に戻るだろう」

「そうですね……すみません、急いでいますので、ココアさん、また後ほど!」

アキラの促しに、ココアへの挨拶をして向けた背に、ココアから更なる言葉が届く。

「頑張れー!あ、ちゃんとクレイグ君のティルさん救出には協力してあげてねー!」

「了解です!行ってきます!」

振り返らずに返事をして、目の前のアキラの背を追う。

ココアに言われるまでもない。アキラとここに来た目的は、ティルニア並びにアキラの友人の救出なのだから。


 

進みだして間もなく、少し開けた部屋に出た。

ガシャン。ガシャ、ガシャリ。

部屋の何処かから、金属と金属のぶつかり合う重い音が聞こえる。

その音を響かせながらゆらりと立つのは、長大な剣を片手に持つ、見知らぬ男。その前髪に隠れていない片目は、虚ろにこちらを見返して。

「久しぶりだな、アヴァン」

「……アンタは、俺を知っているのか?」

アキラの呼びかけに、男は緩慢な仕草で首を傾げる。

「ったく……なんでこんな所にいるんだか……いつぞやの借り、返させてもらうぞ、アヴァン」

「……?」

アキラの反応からして、彼が恐らくアキラの友人。

「覚えてねえか。俺は前お前に模擬戦でボロ負けしてんだよ。あの時と状況は違うが、再戦、受けてもらうぞ!」

「……ぁ、……侵入者は、倒す」

首輪から下がる長く重々しい鎖に繋がれている男は、アキラを認識していない。僅かな間の後、微かに目蓋を震わせた男の虚ろの瞳に殺意の灯がだけが爛々と灯る。

入り口で出会った師と違って、彼は本当に洗脳されているのだと、否が応でも理解させられる。

「アヴァンさん、ですか。これまで関わりがありませんでしたが、アキラさんのご友人との事なので勝手に助けさせて頂きますよ」

自分の言葉に応じたのは、無言と殺気のみ。応じるように杖を構えれば、男が剣を振りかぶり、アキラに駆け寄る。

「虎切!」

しかし、弾き飛ばされたのは、男の方だった。凄まじい速さの、抜刀術。とても魔法師でしかない自分の目には追えない。だが、男は負傷を全く気にせずアキラへ再び斬りかかった。大剣の重みを抜刀後の振り切った刀を無理やり引き戻して受けるとアキラは、重ねて男の体勢を崩させすらしてのける。

そこに、全力の雷撃を放った。

男の動きが止まる。その隙に、アキラの刀に雷撃の残滓を纏わせる。それを受けるが早いかアキラの斬撃が男を切り裂いた。

「がああっ……ぅ、があっ!」

攻撃を受け仰け反った男の目に光は無い。しかし最早理性の感じられない唸り声と共に再びアキラを狙うその殺気は本物。無理やりに振りかぶった姿勢から放たれた斬撃をアキラは左手の刀でいなし、右の拳を叩き込む。立ち上がれなくなった男は、それでも尚殺気を放っていて。

まるで、獰猛な獣のようだ。そんな感想を抱いた瞬間。

「寝てろ」

仕方なく、と言った風情でアキラが男の顎に掌打を打ち込み、気絶させた。

「やれやれ……もう一回目を覚ましたらどうなるか知らないが、その時はその時だ、別の奴らに任せよう……行くぞ」

「ええ……」

男を倒すため、助けるために自分が出来た助力はほんの僅か。それでも、まだ共に行こうと言うアキラについて、先へと進む。

 


 

複雑怪奇な迷路のような要塞を、手探りで進む。今まで訪れたどのパンドラのアジトよりも複雑な構造に、何となくここは今まで通りのただのアジトでは無い、という感想を抱く。一度、中へ進んでいたつもりが外へ出てきてしまった時などは本当に頭を抱えてしまった。

「はあ……見つけ、られるんでしょうか……」

無駄な行程の多さに体力と気力を奪われ、思わずそんな事を零すと、アキラからは厳しい声が返ってくる。

「そう簡単に諦めるな、何のためにここまで来たと思う」

「……すみません、つい弱音を」

「行くぞ」

先を急ぐ剣士の背を追い、塔を登る。最上階に迫った途中階で、やけに頑丈な南京錠のついた部屋の前を通り過ぎた。

「……アキラさん」

「なんだ」

「今の部屋……」

その言葉に、アキラもまた立ち止まる。

「気になるのか」

「何となく、ですが」

「……急ぐぞ」

間接的に肯定を得て錠を焼き溶かそうと試みたが、錠の金属は思っていたよりも重く、手強い。全力を以ってしても、自分の炎では、歪ませる程度が限度だった。

「……じれったい、斬るぞ!」

斬鉄。アキラがその錠前を刀で断ち割った時、背後から聞き覚えのある女性の声がした。

「また会ったわね!この現状、どう見てもきな臭いけれど、言い訳できるかしら?」

険しい表情で、小脇に一人の意識のない人物を抱えた男に詰め寄っているのは、一人の知人――マーレヴィナード。かつて魔女の件で決着をつけて以来、一度も会っていなかった女性。しかし、ことこの場に於いては、再会を喜ぶ余裕など無く。

「外に逃がすところだ」

「嘘つきはキライよ!」

長い髪をなびかせて妖しく笑い、悠然と、さも当然のように言う男の様子に、マーレが激昂して男に殴りかかろうとする。それを男は余裕の笑みと共に抱えていた人物を突き出す事で止めさせる。思わずと言った様子で人質を受け取ったマーレに向かって、男は容赦のない蹴りを放った。

「っ……!」

悲鳴を上げる余裕すらないのか、あっけなく蹴り飛ばされたマーレから人質を再び奪い取って男が逃げて行こうとする。

「地獄に、落ち、ろぉ!」

倒れたマーレの怨嗟の声を笑って聞き流し走っていく男に、自分の後ろからアキラが放った飛針が向かう。自分も続けて雷撃を。後ろで、カラン、と何かが落ちる音がしたがそれも気にしてはいられない。

アキラが放った飛針は、再び人質を盾にされた事で防がれる。自分の雷撃も、体捌きでかいくぐっていく男に、驚愕を禁じ得ない。アキラの舌打ちが背後から聞こえるのを聞きながら、今度は自分に向かって再び放たれた男の蹴りを、咄嗟に杖で受けた。自分がここまで反応できたのは、幸運でしか無い。

「魔女がいなくなっても、やはりパンドラはパンドラ、ですね……」

もう一度、体勢の崩れた男に向かってその場で雷撃を組み上げた、が――

「あなたこそ魔女のようだ。倒れた味方を気遣わず、人質も気にせず魔法を撃つ」

「……っ」

気にする必要のない言葉だ。しかしそれによって生まれてしまった術式の揺らぎを突いて、嘲笑を浮かべて男は再び雷撃をかいくぐる。

「っの野郎!」

アキラも別方向から仕掛けるものの、それも滑るような動きで、アキラを動きにくくするためにまたも人質を盾にしつつ躱す男。その姿は紛れも無く人でありながら、まるで人の皮を被っただけの何か得体のしれない物を相手にしているかのような感覚に、背筋を強張らせる。

「てめえは、人を怒らせる天才だな」

「あなたが怒りやすいだけでしょうね。……とはいえ、多勢に無勢ですか」

凄まじい怒気を体から噴出させているアキラでも、男にただ浅い一太刀しか浴びせる事が出来ないまま。

人質を抱えての逃走は不利と判断したか、その場に置いて男が再び走りだす。

「まだ、手は……っ!」

あれを、逃がしてはならない。咄嗟に男の行く手に土壁を生んだ。しかし、身軽になった男はそれを尋常ならざる動きで越えていく。

「くそ……逃した……」

自分でも珍しく悪態を溢しながら共に男を追い詰めようとした面々へと振り返る。アキラに一見して外傷はなく、倒れているマーレも、蹴られた部分がうっすらと痣になりそうな赤みを帯びている他に重い傷はなさそうだ、と判断。未だ殺気を放ち男の消えた方向を睨み続けているアキラに声をかけた。

「アキラさん、マーレさんと人質の方の様子は……?」

はっとしたように、一瞬自分を見返したアキラは、近くに寝ていたマーレから診始めた。

「こっちは……気を失ってるだけだな、で、彼女は……」

気を失っているだけと判断されたマーレはアキラの横で微かなうめき声と共に意識を取り戻した。だがしかし、人質になっていた人物の方は……

「だめだ、辛うじて生きてはいるが……このままだと死ぬ」

「それって……」

「精神がここにいないんだ……恐らく彼女の中身を持って行かれたんだ」

渋面を浮かべて再び男の消えた方をアキラが見やる。

「……すみません、僕が至らなかったばかりに、行かせてしまって……もう一度、追いますか……?」

土壁を消しても、当然そこに男の姿はない。そちらを振り返って、問うた言葉に対して、自分は無意識に肯定を期待していた。それ故、アキラからの返答に、驚かされた。

「いや……今から追ってももう手遅れだろう。俺は他の連中の救出に回る、アイツのことは他に任す」

それに対する咄嗟の自分の答えを、口に出すのを暫し躊躇った。

「……確かに、他に適任は居るでしょうね……けど、マーレさんだけでこの人をここから連れ出せるとは思えません」

僕は、ここでこの人を外に連れ出すことに専念します。

それは、一度アキラと別行動するということだ。共に出てきたのだから、共に戦い抜こうと思っていたのだが、ここでマーレと意識のない人質にされていた人を放ってはおけなくて。

そう言うと、アキラも頷いた。

「今、ちょうどティルニアの気配を感じた……後は頼む」

そう言って駆け出そうとしたアキラが、唐突に立ち止まった。片手を上げて、階下から飛んできた何かを受け止める。

「……どこまでも、人を虚仮にしてくれる」

苦い響きを帯びた呟きが、自分にも聞こえた。

「シーグ、受け取れ……恐らくこれの中に彼女の精神が入ってる」

そう言ってこちらに戻って来たアキラの手から、四角い物体――重みから判断するに、中は空の箱――を受け取る。

「悪いが、頼んだ」

そう言って再び駆け去っていくアキラの後ろ姿を見送りつつ、残った知人と顔を見合わせる。いくら試してみても、箱は開きはしなくて。

「換魂の呪い、試してみるわ」

やがて彼女が決意した顔で呟いた言葉に、理解が追いつかない。かんこん?換魂。彼女の境遇を思い出し、頭のなかでそれを理解するのが追いついた時には彼女はもう魔女から受け継いだ呪術を始めていた。

「……」

呪術を途中で止めさせるわけにも行かないから。彼女が術をかけ終えるのを、ただ待つ。

僅かな、微かな表情が生まれた。穏やかな、笑みとも見えるものが。

「……起きて?起きてよぉ!名前も知らないままの状態でサヨナラなんてもう真っ平なのよ!」

マーレもその変化を感じ取ったのか、彼とも彼女ともう付かぬ不思議な面立ちのその人物に声をかけ始めるが、女性が目を覚ます様子はない。

「今は、目を覚まさせられませんか……またさっきみたいなのが襲ってこないとも限りませんから。一度出ましょう……!」


要塞を抜けて外へ出てみれば、空はもう暮れの色になっていた。一度休憩をしようと、要塞から少し離れた場所に未だ目を覚まさぬその人を寝かせ、息をついていた。

その時、どこかから羽ばたきが聞こえた。

なぜそれが気にかかったのか、分からない。けれど、赤みを帯びた空に、確かに、一羽の鷹の影を、見つけた。

鷹は、まっすぐにこちらへと飛んでくる。否、足元で横たわるその人の元へと、空を翔けてくる。空中で不意にその影は形を崩し、人の姿へと変じ、目指していた人の側に膝をついた。

「……すまねぇ、遅くなった」

鷹だった男がそう声をかけると、あれほどマーレが声をかけても開くことの無かったその瞳が、ゆっくりと開かれて。

「本当ですよ」

初めて、その声を聞いた。見た目に違わぬ、性別の区別の付けづらい不思議な声。けれど、優しい声だった。

「お帰りなさい。それとも、私がただいまと言った方が良いでしょうか」

「……ああ、そうだな。おかえり、クー」

クー、と呼ばれたその人を、彼は優しく抱きしめる。まるで壊れ物を扱うように。

「あなたをずっと探していたのに、結局あなたに見付けられてしまいました……でも不思議ですね、ずっと傍にいたような気がします」

そっと、男の頬に触れたその指先にも、相手を想う心が詰まっているように見えて。とても、眩しくて。

「……なんだよ、そんな理由で旅に出たのかよ」

その指先を、優しく自分の手で包み込む男は、

「バカだなあ、俺はずっとお前んちで待ってたんだぜ?」

その弱り切った体をそっと抱き寄せて、優しい口付けをした。


 

そのまま眠ってしまったクーを抱き上げて、男はこちらを向いた。

「ありがとうな、クーを、助けてくれて」

心底安堵したその表情に、自然と笑みが溢れる。

「どういたしまして。そのうち、その方にも改めてご挨拶させて下さいね」

「ああ、そのうち、な。……じゃ、またな」

「ええ、また」

彼が歩み去っていったのを見届け、マーレへと振り返ろうとした時、要塞から轟音が響き、上から落ちてくる物があった。咄嗟に振り返った要塞は、巨人の槌にでも撃ちぬかれたように崩れていくところで。

一方、上から落ちてきた何かは立ち上がると、こちらを向いてあの見慣れた頼もしい笑みを浮かべた。

「よっと……シーグ、驚かせちまったか?」

「アキラさん……!ご無事でしたか!」

アキラが降ってきた上空を振り仰げば、夜空の色に溶け込みそうな神秘的な色をしていながら、圧倒的存在感を放つ雄々しい竜の姿が見えた。強く、美しい竜はこちらがその姿を認めるのを待っていたかのように、視線を上げてからきっかり一呼吸の間だけ留まり、飛び去る。

「ああ……多少傷は負ったが、この程度ならすぐ治る」

そう言うアキラの傷は言うほど浅くはなさそうで。けれど。

「……帰りましょうか」

そう言った自分の声は驚く程晴れやかだった。

「そうだな……あんたはどうするんだ?行くところがないならうちへ来てもいいが」

アキラも気の抜けたらしい笑顔を浮かべ、ついでにマーレを見た。ああ、この人は、またか。思わず口が笑顔を作ってしまう。

「私は……そうね、もう少し旅を続けるから、あなた達のところへは、まだ行かないわ。だから、ここで別れましょ?」

ニッコリと微笑んで、マーレはそのまま自分とアキラに背を向けた。

「マーレさん、またお会いしましょう。……じゃあ、行きますか」

「ああ、そうだな」

またいつか、今日縁をつないだ人達と会える事を願って。

安らぎの家への、帰路についた。

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