あの日、あの場所から彼らは動かない。
彼らの望みは、彼らの望みのまま、彼の現実にはならず。
彼らはきっとそれを望んでいた。

ゆるりと、緩慢な動作でこちらを覗く瞳と、目を合わせる。

「どうしたの?」

彼女はその動作そのままのおっとりとした声で彼の居る方に声を掛ける。

「いや、ごめん。何も」
「……考え事?」
「……そうかもしれない」

彼女と彼の会話はいつもそんな感じで、ゆったりとしている。
ゆったりとした時間を彼等は好んでいたし、そうしてゆったりした時間を過ごすだけが互いにとっての平穏だった。

「また、難しいこと?」
「……さあ、どうだったか。もう、何を考えていたか忘れてしまった」

ふふ、しょうのない人ね。そう言って彼女はふわりと彼にその身をもたせかける。彼もそれを邪険にあしらうことはなく、ただ縁側で猫を抱くようにもたせかけられたその体を抱いていた。

互いに互いの時間を縛ることはしない。

互いに、互いを自由なままで、自分の手の内に留めるのはその手のひらだけ。

二人は、そんな関係だった。

契約でも何でもない。ただ、二人共に、何かに縛られる事に疲れすぎていた。関係性ですら、自分の身を縛るものにしておきたくはなく。だから、二人はその関係に名前をつけたりはしなかった。

――付き合ってるの?

そう聞かれることは、度々あった。

――いいや。付き合ってない。
――いいえ、付き合ってないのよ。

二人共が、それに対して否定を返した。

――じゃあ、ただの友達なのに同棲?

ますます怪訝な顔をしてそう返されるのも、いつものこと。

――ただの友達でも、ないなあ。
――ただの友達とは、少し違うわねえ。

二人が一緒にいる時にそうやって聞かれた時には少し顔を見合わせて、悪戯めいたほほ笑みを交わし合い。それぞれで居る時に聞かれたなら、やっぱりとっておきの遊戯を秘密にしたままの子供のように笑って質問者をはぐらかした。
時には、互いに聞き合うこともあった。

――ねえ、私達って何なのかしらね?
――さあ、ね。

彼女が彼の少し青白くて骨ばった手の甲を指先でなぞりながら。

――なあ、俺達って何なんだろうな?
――さあ?

彼が彼女のとろける黒蜜のような長い美しい髪を丁寧に櫛で梳きながら。
その度に、互いに笑い合う。答を出さない事は互いの間で決まり事の様になっていて。そんな答の分かりきった問答の後にはいつも暖かい紅茶を淹れて出し合うのが常だった。
ゆったりと穏やかな時間の中で。
彼等はその関係にいつか名前をつけることを望んでいたのかもしれない。

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