開拓者を求めていた小大陸インコグニタに送り出した、友人の息子は開拓期間が終わったのにまだ帰らない。
代わりに、随分前に見知った一人の少年がやってきて、アイツの状況を伝えていった。だから、心配はしていない。
断じて、していない。していないったらしていないのだ。
アイツの近況についての知らせを持ってきた風の少年は、数日の逗留の後に笑顔で自分の護る領へと帰っていった。数日間の逗留の間、少年は大怪我を治す事に専念せざるを得ず、結果として同じくらいに体に損傷を負っているものの、僅かに怪我の程度が軽くかつ治療にタイムリミットがない自分がずっと面倒をみていた。まあ、そうしろと言ったのは自分だし、その大怪我の原因を作ったのは自分だったので特に文句があるわけではない。寧ろタダ宿を貸すだけでも少年は当初随分居心地が悪そうにしていたのだから。
包帯が外れたばかりの右手を、顔の前に掲げて握ったり、開いたりしてみる。もう違和感はないが、少年と共に自分の体に包帯を巻いた部位の中で一番損傷が酷かった部分が、この右前腕だった。当然と言えば当然の話で、少年の全体重と落下エネルギーまで味方につけた全力の肘鉄をこの右前腕で受け止めただけでなく、その後数分間に渡る『喧嘩』の間中、一切の気遣いなく振り回し、最後には言うことを聞かないのを押して肘の内側と上腕で殴る時に巻き込み、そのまま肘鉄するために無理やり畳んで更に力を加え、などしていたのだ。医者、兼、今この剣を預けている領主に見せた時は大層怒られた。
「けど、楽しかったよなァ」
しかし、領主にいかにしこたま叱られようとも、その領主様も所詮は友人の息子と変わらない年の娘っ子で、はっきり言ってそんなに怖くない。その後とても斜めになるご機嫌を立て直すのが厄介な程度で、彼女の叱責は実のところ自分にとってそう大した障害にはなり得ないのである。彼女の顔を立てる意で普段は指示を聞くし相談事が持ち上がった際にはできるだけ彼女の意に沿う結果にしようとしている、しているのだが、こういう楽しみだけは、どうしたってやめられないだろう。
右手の内側を走る、人の理解に反した力を操って虚空へ真っ黒な剣を作り、顔の横から手首のスナップだけで振り下ろす。刃が風を斬り小気味のいい音を立てた。今は家の中なので存分に振り回せないし、外では領主様に怒られるからやっぱり振り回せない。そのまま横へ振り抜く動作をして、その切っ先が壁紙を切り裂く寸前に剣を霧散させた。ため息をついてみて、そのため息に思っていた以上に怠さが出ていて自分で驚く。どうしたって治療生活の間に体が鈍ったと実感してしまうのは、こんな時だ。
「……ま、切り替えて行きますかァ」
一瞬前まで剣を握っていた右手と、この一週間ずっと自分と少年の世話で働き者だった左手を頭上で組み合わせて思い切り伸びをする。そのまま洗濯籠を両手に抱えて外へ出れば、陽の光が目を灼いた。
「よ、おてんとさん。今日もあんたは元気だな」
つい憎まれ口のような独り言を言いながら、洗濯物を一つずつ桶の中で洗っていく。背中に感じる日は、海に出ていた頃よりずっと柔らかく感じて、俺もジジィに近づいてんなァ、と呟いた。

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